朝日新聞に実名でペテン師 "みたい" な書かれ方をされたことがある。はっきり書けないのは私が実際にはペテン師ではないからだろうが、ちょうど一文無しの状態に転落した時期 が重なり、記事の信憑性に貢献する形になった。自業自得、泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目といったところだろうか。
火だるまの借金を抱えて潰れそうだから助けて欲しい。
代表者が自らそう訴える会社を私は次々と引き取った。
判断材料は、仮に借金がないとしたなら、やっていけるのかどうかだった。
借金の返済さえなければ事業が回るなら一旦、返済を止めてしまえばいい。
賛否はあるだろうが、私はそう考えている。
事業の借金を苦にして死を選ぶ人さえいる。
命で償う責任など、ありはしない。
銀行も商売、貸倒れは想定の範囲。
引き取った後、すべての会社で私は新オーナーとして返済を止めた。
銀行はすぐに口座を押さえてくるから、預金は先に引き出しておく。
古き悪き仕組みだが、銀行は会社の借金を前代表者に個人として連帯保証させている。
会社として返済を止めると、たちまち前代表者に連帯保証人として返せと迫り始める。
もちろん個人としても返さなくていい。
一切、応じなくていい。そう指南した。
銀行は貸金が戻らない場合、回収に努めるが、駄目なら債権を安く売り払う。
債権を買った会社も思うように回収できなければ、別の会社に更に安く売る。
そうしているうちに、債務を破格で解決できる時が来る。
もちろん一朝一夕には解消されないが、やがて必ずなる。
破産などしなくても、命を絶たずとも、時間が解決してくれる。
善し悪しは別にして、金融はそういうシステムで成立している。
しかし、返さないではいられない前代表者が意外と多く出てしまった。
銀行も回収のプロ。飴も鞭も巧みに使い、あの手この手で返済を迫る。
私と比べれば、善人なのだろう。
借りた金、少しでも返さねばと。
私の指示には従えぬと、離反する善人が続いた。
善人とは言え、零細企業を率いた猛者でもある。
したたかに弱者を演じ、銀行に許しを請うた。
騙された被害者だと、マスコミに泣きついた。
もちろん、そんな正攻法で解決などしない。
もともと、倒産前夜の会社だったのだから。
弱者はマスコミにとっての餌。
朝日新聞の記者が飛びついた。
珊瑚礁を破壊し、慰安婦を捏造した新聞である。
格好のネタとばかりに、私は取材を求められた。
丁寧に取材を受けたが案の定、記事は偏っていた。
予め善悪の配役を決めた取材に乗せられた格好だ。
その後、いくつかのネットニュースや個人メディアが引用して報道した。
私に何の取材もせず記事や動画が出た。記者としての矜持はないらしい。
そして、読売新聞がやって来た。
部数は朝日新聞を大きく上回る。
私は、同じように取材に応えた。
しかし、記事にはならなかった。
私も力が及ばずに理想が叶えられなかったことは紛れもない事実だが、会社を適正に買った後の采配の結果であり、落ち度はあれど少なくとも違法性はまったくない。公正を保つなら、記事にはできない。そういうことだ。
新聞の影響力が下がったことは実感できた。
私の生活には大きな影響を及ぼさなかった。
思えば疎遠になった人も少なくないが、記事の影響なのか、金の切れ目なのか、その両方か、判別がつかない。世間から冷笑されようが、一文無しになろうが、私の傍に在り続けてくれる人がふるいにかけられたも言える。文字どおり、在り難い人達だ。そうした意味で、実はほんの少しだけ、朝日新聞に感謝さえしている。
敵は多いけれど味方もいる。
波乱もあるが人生は面白い。