小中高と、運動会ではリレーの選手に選ばれた。
選ばれるのだから、足が速かった。それなりに。
けれども選ばれた中では最も遅い、それが悲劇を生み続けた。
私が抜かれたせいで優勝を逃す、あるいはビリになるという結果を毎年のように量産した。
そして非難や冷たい視線を浴び続けた。
クラスを毎年ざわつかせる、私にとっては恒例のものになった。
不条理なことは、応援席からのヤジであり、運動会が終わってもしばらく続く誹謗。
確かに遅かったから抜かれた。だが、彼らよりは速いから俺が走ったんじゃないか。
しかし今になって思えば、自分が半端だったということだ。
半分は冗談で、半分は悶々としながら、理不尽じゃんかと笑い飛ばしていたけれど、運動会を前にして走る練習をしていたわけではない。
所詮はどこにでもある学校の運動会。
少し工夫をすれば、おそらく異なる結果を生み出せただろうし、そうじゃなくても事後の気持ちはずいぶん違ったような気がする。
今、手掛けていることも、あの頃と同じになっていないか。
これから手掛けることも、あの頃と同じになりはしないか。
子供の頃の苦い記憶と、近頃のいくつかの出来事を重ね合わせて考える。