昭和から平成にかけて、会社からポケベルを貸与された営業マンを見るにつけ、外出してもなお縛られるなんて不憫だなと多くの人が口にしていた。
それが今や、老若男女、みんな揃って自ら喜んで縛られる。
ひねくれた見方だけど、私には今なお不憫に思えてしまう。
初代 iPhone のユーザーだった。当時、外でもメールを送受信できることに感激した。
その後、国際的にはアンドロイドが台頭したので乗り換えて、フラッグシップモデルを頻繁に買い替えていた時期もあった。
そして気付けば、立派な依存症。
脱しようとしても『仕事』や『緊急』が大義名分になって立ちはだかる。
スマホが重宝される理由のひとつは、集約できること。複数の連絡手段、検索、決済、カメラ、地図、スケジュールやお金の管理、暇つぶしの娯楽まで、本当に魔法の小箱。
けれども、悪魔の魔法だよね。
集約を解くことから始めよう。
上手に使えば、なんて言い出しそうな自分を抑えて、徹底的に変えた。
連絡や検索はパソコンで、支払いは財布から、写真はカメラで、見知らぬ先への外出は事前に調べ、必要に応じてノートとペンを携帯、本を片手にといった具合。その上で荷物は最小に。
書き連ねれば、まるで世捨て人みたいだけど、アーミッシュのように 300 年前の生活を模しているわけではない。ほんの少し前の当り前に遡っているだけ。
魔法にかかる前のね。