大学の春休みは長く、私は埼玉の実家に戻りアルバイトに励んでいた。
地下鉄日比谷線の入谷駅が最寄り、引っ越しが専業の小さな運送会社。
日比谷線は南千住駅を過ぎると、都内屈指の急な下り坂で地下に潜る。
そして三ノ輪駅。その次が下車する入谷駅。何てことのない日常風景。
コンビニで飲み物を買い、運送会社の玄関口でタイムカードをガチャン。
着替えを済ませ、一日のスケジュールを確認しながら必要な資材の準備。
近場の仕事で、割とゆっくりな朝の作業。
運転手だったので、点呼のため事務所へ。
常に流しっぱなしのテレビが何だか騒がしい。
日比谷線で発生したサリン事件を伝えていた。
私が降りた次の駅、上野から乗り込んだ犯人(林泰男)がサリンを車内で散布し、多くの人を死傷させた前代未聞の無差別テロ事件だった。
いつものように乗った電車が、自分が下車したひとつ先の駅から大事件の舞台になったことを知った時の感覚を、実はあまり覚えていない。
自分が降りて数分後、あの電車がパニックに包まれたこと。
一緒に乗り合わせていた人達が、大変な被害に遭ったこと。
特にショックというわけでもなく、もちろん笑い話にできるわけでもなく。
はっきりとは覚えていないけれど、今なお忘れることもない不思議な記憶。
日常のもろさを知った春だった。