言葉には言霊が宿るとは、言い得て妙だ。
言葉を使う人類の強みでも弱みでもあり。
言葉にすると、意識をする。
繰り返せば、意識が高まる。
高い意識は、過ぎたるはなお及ばざるが如し。
言葉には、常に相対する存在が必要不可欠だ。
『私』という言葉が成立するには、他者が必要。
『私』とは他者ありきで存在するキャラクター。
『私』を持たない身近な存在、犬や猫を見ればわかる。
『私』を言葉で意識する必要がなく、自分がぶれない。
『私』を見失うこともなければ、振り回されることもない。
『幸せ』と『不幸せ』の相対する狭間で、悩むこともない。
言霊を宿らせてしまうほど、言葉を意識し過ぎてはいけない。
言葉は便利で、救われることもあるけれど、それが私の持論。